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Hand of fate​

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​​供養絵画を描き始めるま
少し長くなりますが、私の生い立ちから簡単にお話させていただきます。
私は10人兄弟の上から8番目(双子の兄)として生まれました。


父は東北出身であり、寒い冬の間ずっと桜が咲く暖かな気候を待ち望見ながら、
「いつか野球チームが作れるぐらいの大家族を作り、みんなで助け合いながら暮らす」
事を夢見ていたようです。
そんな願いを本気で叶えてしまった母。

しかし、私が幼い頃に7番目の姉が白血病のため5歳で亡くなり、
父も不慮の事故により亡くなってしまいました。






毎日ドタバタで大騒ぎな日常でしたが、
家族・近所の方々のたくさんの暖かい日常に包まれながら、楽しく暮らしていました。

幼い頃から絵やモノづくりが好きだった私は、絵の中でならどんな夢や希望も叶うと、
毎日絵を描いては空想の中で自由に生きていました。


その気持ちは成長してからも変わらず、デザイン学校でプロダクトコースを専攻しながらデザイン(プロダクト・ビジュアル・ファッション)の基礎を学びました。
卒業後は造形会社・デザイン会社にて様々な表現方法を学ばさせていただきました。

どの仕事もとても面白く、出来ないと思っていたことが少しづつできるようになり、
やりがいを感じながら日々過ごしていました。
​一方で、一生懸命制作したモノがイベント終了後、破棄されたり、邪魔モノ扱いされている事に疑問を感じ、消費物ではなく、末長く愛されるモノづくりがしたいと考えるようになりました。

 

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​消費されないモノづくりを目指して

末長く愛されるモノづくりとは何か考え、興味のあった漆・革細工を学び始め、
良いモノづくりを目指す方々との出会いの中で、お墓を持たない世代が増えたことにより「手元供養品」が増えてきていることを知りました。

ある日、先祖のお墓を新しく立て替えることになり、ふと「手元供養」のことを思い出し、遺骨をお墓の中で眠らせるだけではなく「手元供養品」として何かできないかと、
家族に相談しました。

はじめは家族の半数以上が遺骨を使用することに反対しましたが、
母が「娘を忘れたくないと思いながらも、薄れていく記憶に寂しさを感じる。そばに感じることのできる手元供養品があると嬉しい」と言ってくれたことで、
私にできる方法で手元供養品を作ってみようと決めました。

私が自信を持ってできるのは絵を描くことだけでしたので、父と姉とペットの
「遺骨を混ぜた絵画」を制作することにしました。


 

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絵が出来上がると、反対していた兄弟達の子供達が絵に挨拶したり、手を合わせたりする姿を見て、「絵として気軽に供養していくのも、これからの時代に合っているのかもしれない。必要としてる人はいるね」と喜んでくれました。

特に幼くして亡くなった姉の絵を見た母から、
​『静香(姉)への想いは消えることは無く、亡くなった当時の姿のまま時間は止まっているけど、時が流れれば流れるほど、記憶が薄れていく現実に戸惑いを感じていた。
そのことがずっと胸につかえていたけど、絵を見たら「お母さん、もういいんだよ」
って静香に言ってもらえた気がして、胸がスッと軽くなり、癒された。
無理に思い出そうとするのではなく、自然と感じれる手元供養もいいね』
と言ってくれました。




 

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供養絵画 memorial painting

母の希望により、月部分に遺骨が混ざっています。
また母から「自分が亡くなった後、自分の遺骨を使用して同じ絵画の中に蝶々として描いて欲しい」
と頼まれました。




 

私は父や姉との思い出がほとんど無く、思い出せる記憶もありません。
父の亡くなった年齢に近づくにつれ、どのように人生を生きていたのか、直接会って
話がしたいと強く思うようになりましたが、その願いは現実には叶いません。
しかし、供養絵画を通して、そばで見守ってくれていると感じるようになり、
いつかまた会う日まで、前を向いて生きてくと改めて思いました。

供養絵画をきっかけに、家族が喜んでくれて、自分自身も癒されたことで、
『消費されないモノづくり』はこのことだと感じた瞬間でした。







 

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